MINO(ミノ)です。
ある日のシルルとの会話...
出かけるとイヤなことが起こると思ってしまう
う~ん、なんか分かるかな
ワタシも出かける前にイヤなことを想像してしまうから
そうすると
どこにも行けないよね
じっさいに
どこにも行ってないし...
出かけたときにも
イヤな記憶しかない...
そうなんですよね...この気持ち...
私(ミノ)はシルルとはまた違うタイプですが、すごく分かるような気がしています。
私の経験でも、うつ&対人恐怖症だった時には、外は不安だらけと感じていました。
「あんなことやこんなことが起こるかも...いや、きっと起こるはずだ...」と悩みに悩んで時間だけが過ぎていき、結局は家から出ないと。
そして、悩みの時間で疲れ果てて「最初から外出しようなんて思わなければよかった」と後悔すると。
では、何とかの思いで外出すると満足するのかというと、そうではありませんでした。
不思議と、実際に嫌なことが起こるんですよね。
「やっぱり、外出するんじゃなかった」と後悔すると。
つまりは、どちらにしても後悔するということですね。
いったい、何でこういうことになるのでしょうか。
ちなみ、今は、これも不思議と外出がそんなに苦ではないし、昔ほど嫌なことも起こらなくなっています。
ある時をきっかけにとかいうことではなく、改めて考えてみると「そういえば、最近はあまり何も思わないな」という感じです。
いったい、昔と今で何が違うの...
ということで、今回は私なりにその理由を考察してみようかと思います。
ということで
自分を客観的に観察するもう一人のワタシ
ジュニアの出番です~
その①
「世の中の見方が広がった」
ということかと...
◇ ポジティブなものにも気づくようになった
以前にも書いたことがありますが、人間は何でも見えているわけではなく、見ようと意識したことだけが見えているんですね。
不安が大きい状態だと、自分の不安に合致するような情報ばかりを無意識に探してしまいます。
その結果「やっぱり悪い予感は当たった」となります。
そうすると、ますます不安が固定されていくと...ネガティブの嵐が強くなっていき、視界が更に狭くなるという悪循環にハマっていきます。
ところが頑張ってポジティブなものを探すと、そういうものも見えてくるんですね。
そう、頑張って探さないとダメなんです、私のようなネガティブの嵐に巻き込まれている人間は。
コツとしては、身近にある些細な幸せに気付くこと。
「日差しが暖かいな~」
「コーヒー、良い香りがするよ」
「今日のご飯はうまく炊けたよ」
というように、思いのほか小さな幸せが身の回りにあふれています。
そして、それを具体的に文章にして口に出せる形にすると。
自分に、ゆっくり言い聞かせる感じですね。
その練習をしつこく繰り返すことで、気付きの幅が広がりました。
「私には悪いことばかり起こる」のではなく、「私は悪いことにしか目を向けてません」ということかもしれませんね。
※参考 :関心の幅を広げる工夫
お気楽バードウォッチング(←リンクです)
ついでの花さがし(←リンクです)
◇ 出来事の解釈が柔軟になった
昔と出来事は変わらないのだろうけど、その解釈は大きく変わったかなと思います。
不安症の人が外に出るとよくあることなのですが、人の視線、または言葉や態度によって傷付くことはあります。
「あの人は不機嫌そうだ」
「私が迷惑をかけているのではないか」
という具合に。
ほとんどの場合は思い過ごしかと思っています。
なぜかというと、「人間、他人にそんなに興味がない」から。
では、実際に「迷惑だ」と思われていた場合はどうでしょうか。
例えば、私のような対人恐怖症の人間は「どんな人にでも興味をひかれる(不安による注意が働く)」という傾向があります。
常に神経が張りつめていて些細なことが気になるのですが、そういう人は「かわいそうな人」ということです。
ピリピリしている人は「余裕がないんだな、かわいそうに」という思ってあげてください...
今でも、心の調子が悪いときには自責で物事を解釈してしまいます。
「私が悪いんだから、自分を何とかしないとダメ」と。
そういう時ほど、まずは立ち止まってできるだけ落ち着くようにする。
そのうえで、頑張って別の可能性にも目を向ける。
1つの可能性しかないということはあり得ませんから。
そして最後は、「相手にも都合があるんだから、仕方ないな」というふうに思うと。
いろいろ勉強して身に付けた、私なりの対人不安の対処法の一つです。
その②
「興味の方向が変った」
というようなお話...
◇ 付き合う人が変わった
(付き合う人が整理された)
以前は、周りの誰にでも気に入られよう、気に入られなければならないと頑張っていました。
その動機は、嫌われることへの恐怖心だったので、心がすり減る毎日でした。
今は「嫌われてもOK」というよりも、「むしろ、嫌われよう」という気持ちで人と接しています。
極端ですが、私にとってはこのぐらいがちょうど良いと思っています。
このぐらいで、ようやく吹っ切れますから。
そうすると、自分のなかで付き合う人の整理ができてきました。
付き合いたい人、無理に付き合わなくてもよい人が見えてきたという表現のほうが正しいかも。
恐らく「嫌われないように」と思うほど自分の言動が気になり、肝心の相手が見えなくなっていたのだと思います。
依存性パーソナリティである私の献身欲求も今は人を選んで発揮しているし、動機も「この人を喜ばせたい」に変わっているので、生きるモチベーションになっていると感じています。
まあ、献身もほどほどにとは心掛けていますが...
そして、現在...身近な交友関係が整理されると、交友関係が外に広がっていき新しい出会いにも恵まれました。
必死で求めても手に入らなかったのに...不思議なものですね...
きっと、頑張り方を間違えていたのでしょう...
◇ 集める情報が変わった
現代は、とにかく心を暗くする情報に溢れています。
ネットを開くと事件や事故、芸能人や政治家への誹謗中傷という記事が多いですね。
こういう記事を読むと、心の無意識のなかに残ってしまうらしいです。
私は心療内科の先生から「あんまりニュースを見ないようにね」ということを言われたことがあり、後々に本などでその意味を知りました。
律儀(単純)な私は「そうなんだ」と、ニュースをできるだけ目に入れないようにしました。
テレビも、暗いニュースが流れたらチャンネルを変えるという具合に、当時はなかなか徹底していました。
効果があったかと聞かれると、主観的にはあったと言えます。
何があったというのを語るのは難しいですが、自分には関係のないはずのニュースですが、内容を反芻して沈んでしまうことがあります。
そういう、なんというか余計なことが無くなったという印象です。
自分の身に起きていない恐怖や面倒を背負い込みたくはないですからね。
それが積み重なれば、私のような人間には動けなくなる重りとなります。
そういえば最近は、余計なニュースを見ないという意識が薄れてきていたなと、この記事を書きながら思いました。
ニュースにのめり込むのも時間の無駄だし、再度、改めようと思います。
という感じで...
ジブンでは気づきにくいね
ジュニアからでした~
ということで...
毎度のことですが、やや表題とは話が逸れてしまったものもありますが...(汗)
世の中の見方が変わり、人間関係や情報を整理(少なくする)ことで、もやっとした不安が少なくなったかと思います。
そうすると、非現実的で余計な不安が湧き上がってこなくなったのかな。
そんなこんなで、外出に限らないですが、いろんな行動が以前よりは楽になっています。
ジブンの力を良い意味でわきまえること
ひとりの人間ができること
持てるもの
なんて限られてるしね
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