MINOです。
最近、SHIRURUと話をしたことで。。。
(´;ω;`)ウゥゥ(´;ω;`)ウゥゥ(´;ω;`)ウゥゥ
私は最低な人間だ…
私は社会人失格だ…
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「自己嫌悪」、やっかいな感情です。
自分のことが嫌いだから、自分自身に厳しくなる。
自分のことが大嫌いだから、絶対に自分を認めない。
SHIRURUの悩みを聞いていると、この感情にぶつかることが多いです。
すごく苦しいのが伝わってきます...本気で自分を追い詰めていて...
今回は、この自己嫌悪について私(MINO)の経験と考えを語ってみたいと思います。
未だに答えは出せていない問題なのですが...少しでも参考になれば幸いです...
さて。。。
私も自己嫌悪は相当に強いほうなので、SHIRURUの気持ちにはとっても共感できます。
何か理屈的なアドバイスをされたからといって、それを飲み込むことができないのも分かります。
だって、理屈では分かるけど、感情が付いてこないんですから。
つまりは、理屈よりも感情のほうが勝ってしまうのが、自己嫌悪だと思っています。
「理屈ではこうだよね」
「客観的に見ればこうだよね」
というのは響きにくいです(響きにくいと実感しています)。
言われた時には「そうかな」と思っても、結局そのアドバイスは役に立たないです。
特に落ち込んでいるときには、自己嫌悪の感情に溺れてしまって自分ではコントロールできないですしね。
そもそも、私もSHIRURUも人から否定されたという経験をたくさん持っています。
私は緘黙(かんもく)症からくる出来事の積み重ね、SHIRURUは親との関係をベースに友人関係まで、心の中に自己嫌悪をがっちりと育てていったようです。
お互いに、子供の頃の経験というのがしっかり根付いています。
自己嫌悪を持つと大変なのが。。。
自己嫌悪を持つと、人生が途方もなくハードモードになります。
・自分の成功を認められない
・自分の長所が分からない
という自分の価値を感じられないということと、それ以上に
・自分は周りに迷惑をかける人間だ
・人として最低だ
というように、自分の存在自体を否定してしまうこと。
生きているのが、本当に辛い状態ですね。
「何で、こんなやつが生きているんだ」という感情が常に隠れています。
ちょっとしたきっかけでその感情が顔を出し、死にたくなるのも頷けます。
私の自己嫌悪の行きついた先は。。。
私の自己嫌悪のケースでは、以前の記事で書きましたが(←リンクです)、どんなに結果を出そうが、どんなに頑張ろうが、「これでは駄目だ!」とより自分のハードルを上げるだけでした。
それどころか、周りが自分を評価しないように言動をするという具合です。
評価や報奨を否定する、どうしても受け入れられない。
そして、評価されないと安心する。
でも、気持ちは重たい。
そんなことをしていたら、遅かれ早かれ、心が壊れてしまうのは当たり前です。
やがて、強烈な希死観念に襲われるようになりました。
自分が嫌いで耐えられなくなり、「お前なんか死んでしまえ」と自分に対してはっきり思うようになります。
自分では気持をまったくコントロールできず混乱して、パニックになったあげく心療内科に助けを求めることになりました。
(うつ病、対人恐怖症に)
もう、何がどうなのか分からない~(泣)
そこから治療が進み、ある程度、気持ちが落ち着いてくる過程で、ようやくある感情が生まれます。
「もう、どうでもいいや」
ということ。
私はこの感情が出てきてから、大きく変化していったんだと思います。
それは、自分のことを諦めたということ。
自分を諦めるというと、「駄目じゃないの?」と思うでしょうが、そうではなかったんですね。
自分をコントロールできなかった原因というのが
・駄目な自分を何とかしないと
・人並みの人間にならないと
という、希望や欲があったからだと思っています。
自己嫌悪があり今の自分では駄目だと思うから、自分を改善しないといけないという気持ちに囚われていたんですね。
つまりは、未練がましくも「自分は駄目だけど、まだ変われる」という期待は持っていたのでしょう(自覚は無かったですが)。
「え~い、もう自分はダメ人間でいいや(涙)」「誰にも認められなくてもいいや(涙)」と自分を諦めると、そこから不思議と気持ちが楽になっていったように思います。
そうするとハードモードだった人生が、かなり楽に変わりました。
自己嫌悪が無くなったわけではないので、イージーモードになったとまでは言いませんが、「もういいや」と自分を取り繕う努力が無くなったのは、とても大きいです。
うつ病の前後で、生きるハードルの高さが大きく変わりました。
私から言えることは。。。
SHIRURUや皆さまに、私から言えることは
「迷惑かけてもいいじゃない」
「仕事ができなくてもいいじゃない」
「誰かに嫌われてもいいじゃない」
だって、あなたは(あなたが思う)ダメ人間なんだから。
迷惑かけて当たり前ですよね?むしろ上手くいけばラッキーということですよね?
その上で、響かないのを覚悟で言いたいことは
「ダメな自分を受け入れたら、不思議とあなたを認める人も現れますよ」
ということ。
私は駄目な自分を隠そうと頑張っている時より、駄目な自分を宣言して笑えるようになってからのほうが親しくなる人が増えました。
自分を隠して振る舞う人は、近寄りがたいのだと思います。
というか、相手からすればどう接していいのか分からないという感じかも。
私は、今のSHIRURUもすっごく認めているけどね~
それと、もう一つ。
可能なら、泣き言を受け入れてくれる相談相手を持っておきましょう。
私は、心療内科に行ってから、自分の本心をさらけ出すことによって、気持ちが整理できました。
親友がおらず、いつも自分を偽って演じていたので、泣き言は自分への憎悪として溜まっていっていたように思います。
私もそうですが、この記事を読んでいる方は心を許せる相談相手がいない方もいるかもしれません。
そういう場合は、カウンセラーに話をするのもありだと思います。
カウンセラーの方々は、秘密は守ってくれるはずです。
金額が高いのは難点ですが、心療内科を経由で相談してみてはどうでしょうか。
私の通っていた心療内科には、先生とは別にカウンセラーがいました(4000円でした)。
偉そうに語りましたが、私は死を間近に感じてから、ようやく自分を諦めることができました。
もちろん、言うほど簡単ではないとも思っています。
それでも、絶対に、できる自分を目指すよりかは現実的だと思っています。
だって、自己嫌悪の根強い人は、どれだけできても自己嫌悪から逃れることはできないと思っていますから。
以上は、私が経験上から思うことです。
それでも、「いや、努力で自己嫌悪を乗り越えてみせる」と思う方もいるでしょう。
それが絶対に駄目とまでは言えませんが...少なくとも私の親友には、その努力はおススメしません。
本人を苦しめて、壊してしまうと私は確信していますから。
(そもそも、自己嫌悪の強い人は普段から十分に努力してますし)
ね、SHIRURU
ダメでいいじゃない
そんなに頑張るなよ~
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