
ミノです
発達障害シリーズ①
「発達障害」、最近、良く聞くようになったワードだと感じています。
「障害」という言葉にどうしても抵抗が出てきますが、一言で言うと「周りの人との違いが大きい人」ということでしょうか。
違いが大きいと、周りに溶け込むのが難しく浮いてしまったり、学校や仕事の場で特別に苦手なことがあり支障が出てしまったりということが起こってしまいます。
当事者にとっては生き辛いということですね。



なぜ書こうと思ったか
うつ病と対人恐怖で心療内科にかかっていたときに発達障害を疑われたのか、二つのテストを受けさせられました。
以下の二つの検査です。
・AQ-J(自閉症スペクトラム指数)
・WAIS‐Ⅲ(ウェクスラー成人知能検査)
(この検査結果の考察は、次回以降の記事で書きたいなと思っています)
その結果、「発達障害が疑われる」との所見をいただきました。
心療内科の先生曰く、「明確に発達障害だとは言えないが、その傾向が強い」というようなニュアンスで告げられました。
いわゆるグレーゾーンという感じでしょうか。
ただ、個人的には発達障害を周囲にカミングアウトすることには抵抗があります。
発達障害に偏見があるというわけではありません。
むしろ才能あふれる有名人も多く、ある意味「発達障害って個性的でかっこいいな~」と思います。
でも私は才能あふれるわけではないですし、「出来ないことを発達障害のせいにしている」というように自分自身で感じてしまいます。
つまりは「私は甘えてる」と...
なので、親にはもちろん、相棒のシルルにもこの件は話してなかったりします。
この記事を見て知るんだなと...



発達障害とは?
発達障害はいくつかに分類されています。
◇自閉症スペクトラム(ASD)
・コミュニケーション、対人関係における障害
・こだわりが強い
・感覚過敏(触覚、味覚、視覚などが敏感)
◇注意欠陥多動性障害(ADHD)
・落ち着きがない
・行動が衝動的
・注意力が不足している
◇学習障害(LD)
・文字の読み書きが極端に苦手
・計算などが極端に苦手
・でも、知的な遅れは見られない
このなかのどれに当てはまるか(どの傾向が強いか)というのもありますが、むしろ複数が併存しているパターンが多いそうです。
つまりは、一口に発達障害とは言っても、その症状は多種多様だということです。
共通して言えるのは、周りから見ると「変わった人」「理解しがたい人」ということですね。
多くの人と同じことが、同じようにできないということ。
私自身の個人的な見立ては「自閉症スペクトラム」を中心とした症状かと見ています。
AQ-Jの検査をしたというのも、そういうことでしょう。
「自閉症スペクトラム」、英語の頭文字をとって「ASD(Autism Spectrum Disorder)」、またの名を「アスペルガー症候群(小児科医のハンス・アスペルガーさんが提唱)」といいます。
「スペクトラム」とは「連続していること」で、どこからが明確にASDというわけではなく、白(正常)に近い人から黒(ASD)に近い人まで様々いるということです。



私の困りごと
私の人生の振りをジュニアより...



①複数人での会話が苦手
日常で、もっとも困っていることです。
子どもの頃には緘黙症(←リンクです)で、誰とも話をするというのが苦手(できない状態)でした。
大人になってからも、会議や飲み会では周囲の会話のペースに付いていくことができずに、気付けば孤立しています。
感覚としては、多くの会話が飛び交うと何を言っているのか分からなくなってきます。
ただの雑音のような気がして、ただただ疲れてきます。
また、一人の声に集中していると、会話の切り替えに付いていけなくなります。
「みんな、よくスムーズに会話ができるな...自分は積極性が足りないのかな...」と思っていました。



②雑音が苦手
上記に付随することですが、大きな音が苦手です(というか、怖く感じることも)。
学校の休み時間などは、周りの声がうるさく感じていました。
静かな図書室が好きという、絵にかいたような根暗な子でした。
喧騒から離れた瞬間、すごくすっきりするのを感じます。
居酒屋の喧騒も耐えられず、頻繁にトイレに立ち休憩をとるのが習慣になっています。
どうしても耐えられないときは抜け出して、外でボーっとしています。
周りからは付き合いが悪い、飲み会が嫌いと思われているのは分かります。
「私は小心者だから大きな音に敏感なんだ...」と思っていました。



③冗談を真に受ける
周りが冗談で言ったことを、本当のことと受け止めてしまいます。
私は「そうなんだ...」と言って聞いていると、見かねた相手や周りが「いやいや、冗談で言ってるんだよ」というように指摘してくれます。
冗談が通じない、空気が読めないということで、会話に水を差すことがあります。
たまたまというのではなく、頻繁に起こしてしまい気まずくなるので、普段から気を付けるようにしています。
今は、それなりに回避できているのかな...
それでも、気を抜くと(?)冗談が分からなくなってしまいます。
「私は(緘黙症で)コミュニケーションの経験が少ないから、言葉のやり取りが苦手なんだ...」と思っていました。



④集団行動が苦手
学校生活自体が嫌でしたが、親を心配させてはいけないという思いは強く、休んだり引きこもるということはありませんでした。
気弱な不安を言うと、すごく苦々しい顔をされるので。
そんななかでも苦痛だったのが遠足、学園祭などの学校行事です。
当日までが怖く、終わる頃には気分も落ち込み、疲れ果てていました。
楽しい思い出なんてありません...
社会人になっても、一人でする仕事が大好きです。
あえて個人的な行動に出ることがあり、それが積極的だという評価をされたこともあります...
とにかく、周りに人がいるだけで疲れてしまいます...
経験上、出来るだけ気が合う人なら二人でというのはありかな...シルルとは楽しいし...
3人以上、慣れていない人が一緒、などはメンタルを削られます...
「私は人見知りが過ぎるな...慣れないと...」と思っていました。



面倒なやつですね...
そういうコミュニケーションの場での失敗、そこからの気分の落ち込みというものを何度も味わいました。
空気を読もう、周りに溶け込もう、周りに合わせないとと神経をすり減らし、自閉症スペクトラムにありがちな「過剰適応」を起こしてしまいます。



負のループが...(汗)
そういう体験を繰り返した結果
・人が苦手
・雑談が苦痛
・一人でいるのがすごく好き
とういう状態に拍車がかかり、ますますコミュニケーションに対する苦手意識が強化されていきます。



更に深みに...(汗)
それでも、必死に周りに合わせようと努力した結果、うつ&対人恐怖を発症するという結果となりました。
これまた、発達障害に付きもののコースですね。
周りに溶け込めないという自己無力感や自己無価値観に苦しみ、希死観念に苛まれながら、ようやく自分を見つめるに至ります。
救いを求めてそういう系統の本を読み漁り、情報を集め、ようやく自分を知る糸口を見つけたという感じです。
もともと、ハマりやすいところがあるので、図書館で気付けば一日過ごしていたという状態でした。
調べものに夢中になっているときには嫌なことを思い出しにくくなるし、自分の不安の原因を知ることに渇望していましたから。
図書館は好きな場所です。



ここまでが
長い道のりだったな...



意識の変化
私が試みていること
頑張って自分に言い聞かせたのは「あえて嫌われろ」「嫌われるような言動をしよう」ということ。
もともと、相手の顔色を見る八方美人の私は、相手が何をすれば喜ぶのかを必死で考えて言葉を発したり行動しようとしたりしていました。
ただ、結果、それで相手に気に入られたのかというと、むしろ誰とも親しくなれず軽く見られるだけでした。
自分の主張もなく、良く分からない人間ということなのでしょう。
また、職場では、文句も言わずに働く便利な人間という軽い評価なんだと思います。
ようやくそこに気付いた私は、「どうせ嫌われるんだから、相手に合わせなくていいや」と、ある意味、開き直ろうと自分に言い聞かせます。
それでも、今までの生き方が染みついているので、条件反射的に相手の顔色や機嫌を探ろうとしてしまいます。
そこで、もっと徹底しないとと「あえて嫌われるようにしよう」という意識で行動しました。
私には、そのぐらいで丁度よいという感じです。
具体的には
・嫌なことは言う
・やりたくないことは言う
・無理に会話をしない(会議や飲み会では特に)
そして、私にとってはしんどいことですが
・相手が不機嫌であっても、おろおろしない(気にしない)
・自分の都合で動く
ということ。
上記は、多くの人には当たり前に感じるでしょうが、私にとってはかなり勇気のいる行動です。
自分の無価値観と戦いながら、気分によっては上記のように行動できないこともあり、それでも続けようと努力はしました。



その効果
結果、現在...
・明確に私を嫌う人が出てきた
これは大きな進歩と自分に言い聞かせています。
今までは「気にもされない存在」「どうでもよい存在」でしたから。
・変わったキャラとして認識される
なんというか、独特の空気感を持つキャラと認識されているように感じます。
空気の読めない言動を楽しんでくれる人が出てきました。
何とか「普通」を装おうと取り繕っていたころは、その必死さに周りも笑えなかったのだと思います。
・考え方の合う人が分かった
周りに合わせようとしていた頃は、相手のことが良く分かっていなかったと思います。
おそらく、以前よりは自分の意見を相手にぶつけることができているので、相手の本音の部分を聞くことが増えたように思います。
表面上の会話だけでなく、もう少し深い会話になるようになったと。
そうすると、価値観や性格が好きだなと思う人が出てきました。



まだまだ修行中です...
以前と比べると、少し(?)生きやすくなったと思います。
というか、思いたい...
まだまだ思い切りが足りない、ふっきれていないと思う部分は多いです。
この文章を書いていて、もっと「あえて嫌われるようにする」、つまりは「自分を出す」ということに励んでいこうと思います。



道のりは長い...
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