どこか生きづらい少女たちの日常・・・ 真面目なバナナちゃんの日記

自己無価値感との付き合い方 ~場面緘黙症の後遺症と対策~

どうせぼくなんて...
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MINO

管理人、MINOです。
私の変な(?)思考を振り返りますね。

「自分なんて…」という気持ちに苦しめられている方はいないでしょうか?
私がそうです。

いわゆる自己無価値感、これが主観的(気分、行動など)にも客観的(人間関係、収入など)にも人生の質を落としてしまいます。

この自己無価値感とは何なのか、そこにどう対処していったら良いのかを、私の経験をもとに考えてみたいと思います。
少しでも、誰かの参考になりましたら嬉しいです。

もくじ

自己無価値観自己無価値感とは?

今でも苦しんでいるというか、取りつかれている考えがあります。
「自己無価値感」
自分の感覚を表す一言は何かと考えたときに、一番しっくりくるかなと思いました。
「自分は無力で価値のない人間だ」という思いがあるから、「自己否定」「自己嫌悪」が生まれてくるのかと思います。

この「自己無価値感」、いつから私に取りついたのか定かではないのですが今でも心にしっかり根をおろしていて、色んな場面で私の言動を操ります。

私は日常から
「私は人よりもダメな人間だから、人一倍頑張らないといけない」
「私は、そんなに評価される人間ではない」
という思いがあり
さらにメンタルが下降気味になると
「私は周りに迷惑をかける存在だ」
という感覚にバージョンアップします。

…うん、こうして文字にするとおかしいと思うし、変な考えだと感じることはできるのですが…では、それを心から否定できるかというと…できないです…
まったく、何なんでしょうね。

自己無価値感とは

↑外部リンクです

自己無価値感からくる自己破壊的な問題行動

MINO

過去を思い出すと。。。

思い出すと、高校生ぐらいの頃から人に褒められるのが苦手だったと思います。
褒められると居たたまれなくなるというか、その場から逃げ出したくなるというか…
評価の言葉を全力で否定したり、逆に自分を貶めるような発言をしたりしていました。

そんななか、過度な自己卑下は相手に嫌な思いをさせるということを徐々に学習したので、褒められたら頑張って嬉しい演技をするようになりました。
心の中で違和感や気持ち悪さと戦いつつ…
まあ、厳密には褒められると嬉しいです。でも、同時に心の中で「私ごときが」という声が聞こえてきて、それを否定します。

社会人になると、自分には価値がないと思うからという歪んだ理由で、率先して頑張るようになります。
その頑張り方もどこかおかしくて、しんどい事はむしろ引き受けるという、自分で自分を苦しめる状態でした。
そうすると周りも評価してくれるし、自分も安心できると思っていました。
いや、そうしないと自分の居場所がないという感覚が正しいのかもしれません。

しかし、残念ながらそうはならず、どれだけ頑張っても「こんなのじゃダメだ」「このぐらいできて当たり前だろ」という思いになります。
どこまでやっても満足や納得にはつながらないのです。
むしろ、頑張るほど「ダメだ」という気持ちが募っていく感じでした。

もう一つ、「周りも評価してくれるだろう」というのも間違っていて、周りに舐められるようになるというのが正しかったです。

覚えているのが、接客関係の仕事をしていた時に同僚が「後は(後の接客は)、○○(私の名前)に任せて帰ろうよ」と話しているのを偶然聞いてしまいました。
その同僚は、普段から気さくに話しかけてくれていたので、相当なショックではありました。
私が近くにいるのに気付かずに話していたのですが、私の存在に気付くとさすがに慌てた感じでした。

その時、私がどうしたのかというと…聞こえてなかったふりをして横切りました…むしろ私のほうが「相手に嫌な思いをさせてしまったな」という、周りが聞くとおそらく意味不明な気持ちになりました。

まさに、「何てダメ人間」ていう記憶ですが、そういう扱いを受けることで「やっぱり自分は価値のない人間だな」「うん、やっぱりそうだ」と傷付きながら安心というか納得していたように思います。

また、会社の人事評価も私にとっては、苦しみ悩む期間でした。
お金は欲しいという欲はあるので昇給というのは嬉しいことです。
しかし、それ以上に良い評価をもらうということが耐えがたいことになります。
「私ごときの働きでお金をもらおうなんて」
という心の声が聞こえてきます。

周りから見れば、真面目、頑張っているというふうに見えるようで、そんなに評価は悪くならなかったです。
低い自尊心があるために真面目に頑張るという図式なので。

評価面談では
「でも、私は○○が出来ていないです」
「これからは○○をもっと頑張らないとと思います」
というような、自分の評価を下げようとする言葉が我慢できずに口から出ます。
幸いというか何というか、それらは志が高い言葉だと思われていたようです…ただ、自分を認められないだけなんですが…

MINO

どうしたらいいんだろう。。。

自己無価値感の原因(私のケースからの考察)

思うに、この自己無価値感は生来の気質、場面緘黙症による体験などにより、だんだん大きくなってしっかり根付いたのでしょう。

なぜそう思うのかというと…
小さな子供の頃から記憶をたどったときに、小学校のときな褒められると素直に嬉しかった…中学生の頃も嬉しかったような…高校生ぐらいから気持ち悪かった…

つまりは、生来から自己無価値感を持っていたわけではないらしいということです。
生まれ持っての性格だけでは、自己無価値感は生じません。
周りの人の接し方、環境によって育まれるもののようです。

場面緘黙症について

私のケースを紹介します。
場面緘黙の「症状」と、周りの対応などの「環境」から育まれただろう性質です。

場面緘黙症の症状
・しゃべることができない
・自己主張ができない
・嫌なことをされても怒ることができない
 
場面緘黙症による周りの反応
・軽く扱われる
・搾取される(いつも最後で、余りもの)
・取り残される(存在を無視される)
 

・自己無力感
・自己無価値感
・自己否定感

私のケースは自己責任と言われると否定できないですが、心が未発達の子供時代なので、誰かに気付いて助けてもらえていたらという気持ちはあります。

今、場面緘黙症で苦しんでいる人が身近にいれば、できるだけ早めに手を差し伸べて、できるだけ心に傷跡を残さないようにして欲しいなと思います。

皆さまも、記憶をしっかりたどれば、自己無価値感を持っていなかったときはあったはずです。
赤子の頃から自己否定的で自己嫌悪があったというのは考えられないですから。

でも、こいつ(自己無価値感)を完全に取り除くことは不可能というのが、いろいろやってみた今の私の結論です。
苦しみのなか、必死で本を読んではポジティブになろうとしたり、性格を変えようとしたりしましたが無理でした。
自己無価値感との付き合いが長すぎるのか、ポジティブな言動など一時的に自分を騙しているにすぎません。
常に、気持ち悪い違和感が付きまといます。

これはもう私の一部として、これからの人生も上手く付き合っていくものだと覚悟を決めました。

自己無価値感への対策

今、昔よりもできているなと思うのは、自分を客観的に見ること。
自分を客観的に見ることで、自分の行動をコントロールすること。

つまりは世間の常識に合わせることと、自分を苦しめ過ぎないこと。
これは、うつ病が大きな転機になりましたね。死の声をリアルに聞き続けて、ようやくここに至りました。

そっと、自分を慰める

自分を客観的に見る方法
自分の斜め後ろ、少し上に、もう一人の自分がいるとイメージする。
そのもう一人の自分で、本体を客観的に眺める練習をしました。

不安な場面などでは、慰めたり、共感の言葉を投げたりしています。

例えば、「怖かったね」「仕方ないよ」「それで大丈夫だよ」という具合です。
※私の感覚では、激励はダメです。「頑張れ」とは言わないようにしています。

もう一つ、対策としてはボランティア活動。

人の役に立ちたい、自分の存在価値が欲しいという欲求をほどよく満たしてくれています。
ボランティア活動をしている自分が、むしろ助けてもらっていると感じています。
「人の役に立ってるな」
「喜んでくれてるな」
「お金とか自分のためじゃない」
という感覚が私の心を安定させます。

ボランティア活動に関しては、対策としてやったというよりは、たまたまやってみたらハマったんですが。
いや、この貢献感、見事なぐらいハマりました。
「ありがとう」と言われても、「こちらこそ、ありがとう」っていう感じです

「そういえば、昔から人に喜んでもらうの好きだったよな・・・」と自己分析しています。
自己無価値感を持つ人は、周りの気持ちに過敏ですから(だから病んでしまう)。

ボランティア活動は、その過敏さを良い方向に向けることができます。
また、人から感謝される経験を重ねることで、わずかずつでも自己肯定感が育ってくるのではないかと思います。

副産物(?)として、相手に気を遣わせない程よいさじ加減の献身も身に付けてきました。
空回りすることも多々ありますが…(←相変わらずの自己否定、自己ツッコミ)

ほどよい献身を身に付ける

ボランティア活動
自分の貢献欲求を、程よく満たすことができます。
仕事とは違う
利害関係の無いつながりができたのは大きいです。

私は非営利の団体で活動しました。
無理のない範囲でという空気感があり、自分へのブレーキとなったような気がします。

MINO

ふぅ(ため息)。。。

今回は以上で…世の中の普通に自尊心を持っている方には意味不明の感情でしょう。
でも、私と同じような人が世の中にいるとして、少しでも共感を得られたら良いかなと思います。
世間的には受け入れられないマイノリティだけど、あなた一人じゃないよということで。

自分を変えることは無理でも、自分と上手に付き合っていく術をこれからも模索していきたいなと思います。

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