どこか生きづらい少女たちの日常・・・ 真面目なバナナちゃんの日記

ついでの花探し

バード式ムーンウォーク、お花を見つける
このオハナは...
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不安障害、不安症の人は実は周りがあまり見えていません。
目は開いているのですが、見てはいないのです。
というよりも「見ないようにしている」という表現が正しいです。

どういうことかというと、「人は見ようと思ったものしか見えない」から。
目に映っているものがすべて意識にのぼっているわけではなく、興味をひかれて見ようと思ったものが認識できるということ。

こういうことはありませんか?
・知り合いとすれ違っても気付かない
・人のいる場所が不安
私の経験ですが「たまに道ですれ違うけど、まったく気付いてないよね」というようなことを何度か言われました。

さて、前置きが長くなりましたが、そんな方にお勧めなのが「ついでの花探し」ですよという話です。
何かというと、外出する時に、目的地への道のりまで周囲の草木に注意を向けましょうというものです。
実は気付いていないだけで、世の中には色んな花、色んな草木が生えています。

公園などの自然の多い場所でなくても大丈夫。
アスファルトの端や隙間からも、頑張って茎を伸ばしているものも多いです。
そういうものほどちょっと変わっていたり、一本だけポツンと咲いている花なんかはむしろ魅力を感じます。

そういうものに注意を向けながらゆっくり歩いていると、驚くほど多くの発見があります。
いつも歩いている道でも、「こんな花が咲いてたんだ」「あの木は蕾がついているから、もうすぐ花が咲くのかな」という草花の発見にとどまらず、「あそこの屋根は面白い形をしているな」「カタツムリ、久しぶりに見たよ」というものまで。

近所の道でさえ、何も見ないようにして歩いていたんだと気付きました。
いいなと思うものを見つけたら、スマホで写真を撮っています。
変な形の花を見つけたら、ネットで検索したり。

自己分析してみると、不安や恐怖から逃げるために自分の中に閉じこもろうとして、無意識に周囲の情報をシャットアウトしていたんだろうと思います。
自分の視線が周りに迷惑をかけるのではないか、嫌なものを見てしまうのではないかと、病的に思い込んでいました。
(視線恐怖症というやつですね)
自分の殻にこもるほど、周囲も自分も客観的に見ることができなくなり、想像上の不安や恐怖ばかりが大きくなっていったんだろうと。

不安や恐怖から目を背けるほど、それは心の中で非現実的に大きくなっていくものです。
いちど不安に飲み込まれると、出口が見えなくなる感覚があるかと思います。
そういう時ほど、周りに意識を向けてください。
気分の状態によっては意識を向けるのもやっとという感覚がありますが、そこを少し頑張ってください。
頑張って花を探してください。
そして立ち止まり、見つけた花をじっくり観察してください。

それが、小さいかもしれませんが、出口への道になるはずです。

  • お手軽度 ★★★★★5
  • 効果 ★★★★★5
  • 個人的おススメ度 ★★★★★5
  • おススメポイント 身近な日常のなかで新しい発見がある、精神的な視野が広がる
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